宇宙よりも遠い場所

SPECIAL

STAGE13

あなたにとって「南極」とは? 
観測隊員さんに聞きました!

インタビュー企画もこれが最終回。これまでにお話を伺った5人の南極経験者に再登場していただき、改めて南極の魅力や思い出について語ってもらいました!


前人未踏のルートを進む「しらせ」に、先人たちの想いを馳せる

2等海佐 岳本宏太郎

(プロフィール)
防衛省 海上幕僚監部 防衛部 運用支援課 南極観測支援班長


昭和基地のある東オングル島は、南極でも特に氷が険しいエリアで、観測隊が発足した当時は到達不可能とまで言われていました。そんな状況でも決して諦なかった先人たちがいたからこそ、今日の昭和基地があります。困難な航海の連続だった初代の南極観測船・宗谷に比べれば、2代目しらせは砕氷性能も安全性も比較にならないほど向上しました。しかしそれでもなお、南極航海は一般的な船旅とは比較にならないほど険しいものです。氷海を前にしてはしばしば難局を迎えることもありますが、他のどの船でも進めない、世界でも有数の砕氷艦「しらせ」だからこそ突破できる状況というものがあります。この船と一緒なら、そこがどんなに過酷な場所であっても、人と物を安全に送り届けることができる。それも、これまで誰も通ったことのない、文字通り前人未踏のルートで辿り着ける。そんな時は、1人の船乗りとして純粋にワクワクします。同時に、この海に挑んできた多くの先人たちの不屈の精神も感じることができ、感慨深い想いが込み上げてきます。

南極を目指す理由は、「そこでしかできない研究がある」から

本吉洋一さん

(プロフィール)
国立極地研究所 教授 広報室長
第58次南極地域観測隊隊長


観測隊員としてこれまでに10回以上も南極を訪れていますが、なぜそこまでして行くのかと問われれば、ひとえに地質の研究のためです。私の研究は南極でのフィールドワーク(野外調査)なしでは成立しないんです。ですから、昭和基地に入るとすぐにヘリであちこちに出かけ、2ヶ月近くも基地には帰らないなんてこともよくありました。そうした地道な調査の結果、南極で採取した宝石がインドやスリランカで見つかる宝石の成分と全く同じであることが分かり、南極大陸が2億年前までインド亜大陸とくっついていたことを裏付けることができ、「ゴンドワナ大陸」と呼ばれる超大陸の存在を示す一助にもなりました。これは研究成果の一例ですが、このように南極で行われる観測の多くは、地球の歴史の謎を明らかにすることで未来の変動を予測しようというものです。極寒の過酷な環境下で暮らしながら観測を続けるのは、南極でしかできない研究があるからなんです。

音のない南極ならではの、摩訶不思議な体験とは?

小濱広美さん

(プロフィール)
国立極地研究所 広報室 副室長
第52次南極観測隊で庶務・情報発信担当


私は庶務担当だったので、隊員のサポートやしらせとの調整に追われっぱなしの南極体験でした。しらせの船内でも昭和基地でも、とにかくずっと慌ただしかったという印象が強いです。そんな中で、一度だけ昭和基地から離れた内陸の観測に同行させてもらったことがあり、それがとても印象深いです。基地は生活の場所ですから色々な音がしますが、内陸はまったくの別世界。生物も人工物も、一切の音がしません。乗ってきたヘリが飛び立ち「音がしない!」ということに気付いた時、脳がビックリしたのか、逆に耳が詰まったような感覚になりました。うまく言葉にできないのですが、これまでに経験したことのない不思議な感覚でしたね。その後、露岩地帯を5時間近く歩いたのですが、そこでも不思議な感覚は続いたまま。4人で隊列を組んでいたのですが、私以外の3人は男性で、ずっと先へ進んでしまったのか、気が付くと姿が見えなくなっていました。どれだけ耳を澄ましても、聞こえるのは私の呼吸音と足音だけで、まるで世界に一人きりのような気がして急に不安になりましたね。結局、他の3人は岩陰に隠れてて、不安そうに歩く私を見てケラケラと笑っていたんですけどね(笑)。

南極はみんなが家族になる場所。料理人は母であり、時には父にも

竪谷 博さん

(プロフィール)
居酒屋「じんから」オーナー


南極料理人って、研究者やエンジニアとは違い、必然的に全隊員と関わることになるんです。それもあって、どんどんと隊員たちの母親のようになっていきました(笑)。愛する家族もいない、遊ぶ場所もないという南極での生活は、誰もが多かれ少なかれストレスを抱え込みます。そんなとき、例えばお酒を飲みながら話を聞いてあげたり、「少し心配してたんだよ」と声をかけたりすると、「マジっすか? 気をかけてくれていたんですか?」って(笑)。もちろん深刻な問題やトラブルの場合は隊長という絶対的なリーダーに任せますが、日々の些細なストレスやグチなどは、僕が話を聞くことでストレスが少しでも緩和してくれればいいなと。また逆に、少しワガママな面が目立ってきたなと思う人には「ちょっといい加減にしろよ」とたしなめたりもしました。普段はニコニコとした母親だけど、時には厳しい父親にもなる。南極で料理を作っていると、不思議ですが、ごく自然とそうなっていくんですよ。振り返って見ると、観測隊はまさにみんなが家族のような存在だったと思います。

修理屋の私にとって南極は、地球上で一番遠い「仕事場」です

小林正喜さん

(プロフィール)
第57次、第59次南極観測隊に機械担当


南極へは二回行きましたが、越冬隊を残してヘリで基地を飛び立つ時は涙が出ました。特に一度目の時はこんな過酷な環境に彼らを残し、夏隊だけが帰るというのがとても残酷なことのように思えて大泣きしました。まあ実際には、越冬隊は「やっと越冬生活に入れる」と、むしろ喜んでいたことを後で知り複雑な気持ちでした(笑)。でも、上空から見る基地の設備やライフラインというのはそれほどちっぽけで頼りなく感じるんですよ。本来なら絶対に人が住めない極寒の地でへばりつくようにして耐え忍ぶ。いくら観測のためとは言え、私からすると過酷にしか見えなかったのです。そんな場所で素晴らしい仲間と共に働けたことは一生の思い出です。特に私はエリートというわけではなく、本来はただの修理屋のおっちゃんですから(笑)。もちろん自分が南極に行くなんて、考えたこともありませんでした。でもふとした縁で「行けるかもしれない」となったときは、妻にも相談せず「行きたい!」と即答していました(笑)。私にとっての南極は、旅でも冒険でもなく、地球上でもっとも遠い仕事場。厳しい環境下で自分の仕事をすることで少しでも観測のお役に立てたなら、それが一番嬉しいことです。

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